等持院について
等持院について

等持院由来

天龍寺派 元管長 関牧翁老師筆・祖師像
天龍寺派 元管長 関牧翁老師筆・祖師像
初代将軍足利尊氏公木像
初代将軍足利尊氏公木像

暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。
後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となった。
応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われたが、豊太閤も、秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられたのである。
その後も移り変わりはあるが、等持院には、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。

境内のご案内

方丈(本堂)
方丈(本堂)
方丈
方丈

方丈(2017年6月7日より拝観できません)

現在の方丈(本堂)は、元和二年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、文政元年(1818年)等持院に移築された古建築で、南庭をひかえた広縁を静かに歩むと、鶯張りの音がここちよく響く。
方丈の襖絵は狩野興以の作で、明治維新当時一部損壊し、更に映画の撮影所が等持院境内に出来て、方丈がロケに使用されたためにかなり破損したが、今日修復され、年一回の寺宝展で公開されている。


霊光殿
霊光殿
霊光殿内部
霊光殿内部

霊光殿

足利尊氏公が日頃念持仏として信仰された利運地蔵尊(伝弘法大師作)を本尊として、達磨大師と夢窓国師とを左右に、足利歴代の将軍像(5代義量と14代義栄の像を除く)が、徳川家康の像と共に両側に安置されている。
家康の像は42才の厄除けの霊験を受けたもので、はじめ石清水八幡宮豊蔵坊にあったが、廃仏毀釈後に等持院に移され、本尊と共に利運を願う人たちに信仰されている。


心字池
心字池
お抹茶
お抹茶

庭園

この庭園は夢窓国師作として伝えられる。方丈の北庭の東の苑池である心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池庭)のあたりの景色は幽邃で、かつて中ノ島には妙音閣があったが、現在は礎石でその面影を偲ぶことができる。
半夏生(三白草)が咲く夏至の頃のこの庭の風景も良い。
一方書院から望む西の芙蓉池は、古い木立で区切られ、蓮の花を形どった庭園に花木をあしらい草木を配し、石組も変化に富んでいる。尊氏公百年忌の長禄元年(1457年)に復興した際、庭園の中に清漣亭の茶室が新築され、義政好みとよばれた。
書院に坐して茶の香りを愛でながら眺めるこの庭を引き立てるのは、寒の頃から春先にかけ咲きはじめる有楽椿(侘助)、初夏のさつき、七月頃からのくちなしの花、初秋の芙蓉の花などで、それらが清漣亭の前庭の景色に彩りを添えている。


足利尊氏公の墓
足利尊氏公の墓
台座
台座

尊氏之墓所

方丈北の中央に尊氏の墓である宝筐印塔がある。
塔の台座は四面に立派な格挟間があり、宝瓶に蓮華を挿した紋様があって、室町時代の形を示している。
台座の正面に延文三年四月の文字がみられる。


清漣亭,上段一畳貴人床
清漣亭,上段一畳貴人床
芙蓉池
芙蓉池

清漣亭

方丈北背の小高いところに、茶室清漣亭がひっそりと落ちついた姿で建っており、控え目な侘しいたゝずまいを見せている。
村田珠光や相阿弥らと茶道を興じた義政の好みと伝える清漣亭は、上段一畳を貴人床とする二畳台目の席で、この上段一畳に坐して望む芙蓉池苑はまた格別である。
今は背後の建造物に遮られているが、当時段上の背後のある櫛型の窓を開けると、衣笠山の裾野ののびやかな姿が眺められたことであろうと偲ばれる。

足利氏系図

足利氏系図